胡蝶の夢

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zoom RSS 八日目の蝉〈愛憎・愚かさの連鎖〉

<<   作成日時 : 2014/03/04 11:39   >>

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 斧入れて 香に驚くや冬木立ち (与謝蕪村)

 寒い、寒いと言っているうちに、の兆しもチラホラ?

 春は名のみの 風の寒さや〜♪

 まだまだ“冬モード”の中で、今年も思い出が詰まった、しょぼくれた2月が通り過ぎて行きました。
 さて、この一カ月は、何といっても関東甲信を襲った「豪雪」にまつわるニュースと、ソチにおける「冬季オリンピック」の話題で持ちきりでした。
 東京でも、バレンタインデーの日には記録的な大雪に見舞われ、翌日は、窓から見る(ご近所の)屋根の積雪量の多さに驚かされたものでした。
 豪雪に慣れていない地域、特に首都圏の一部の地域では、被害が拡大し、交通網が寸断され、孤立世帯続出のニュースに、ビックリしたり、同情したり・・
 いえ、同情している場合ではなかったのです。
 事実、我が家の食卓にまで波及することになり、毎週末の「ネットスーパー」での買い物は、諸事情から配達不能になり、暫らくの間、断念するしかなかったのですから―。
 ま、被害に遭った過疎地域のことを思えば、些細なことかもしれませんが―
 都会って、何かにつけて軟弱なところがあり、特に自然災害に対しては、ちょっとした雨でも、風でも、雪でも・・すぐ混乱しちゃうんですよね。
 また、今回も、賑々しく幕を開けた「冬季オリンピック」にしても―
 何だかんだ言いながらも、開会式(2月7日)以来、気がつけば、朝っぱらから男子フィギュアの羽生クンの、妖精のような容姿に心奪われ、歓喜の金メダルに酔いしれたり、華麗なる女子フィギュアの、女の意地を賭けたメタル争いに感情移入したり・・
 好むと好まざるとに関わらず、寝不足気味の日々が続きました。
 思えば・・今から8年前の丁度同じ時期、救急病院のベッドの中で、夜中にひっそりと観ていたのが・・「トリノオリンピック」でしたっけ―。
 そんなこんなで、2月は「冬季オリンピック」「豪雪」にまつわる話題ばかりで、少々食傷気味でしたが―
 そのオリンピックも無事閉会式(2月24日)を迎え、豪雪で被災した現地の状況も、徐々に改善に向かっているようです。
 また、これら以外の話題としては、若き美人生物学者、小保方晴子氏(30歳)の「新型万能細胞開発」にまつわるニュースやら、なにやら限りなく胡散臭い“現代のベートーベン”なる某作曲家の話題やら、面白可笑しくワイドショーを賑わせていました。

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 そんな中で、最近、とみに思うことは―
 3・11以降、何故か世の中全体が平坦的(表面的?)になり、世論の方向(上っ面だけの綺麗ごと)から少しでも逸脱したことを言ったり、したりすると、寄って集(たか)って袋叩きになるという傾向・・
 これって、モゾモゾするような「気持ち悪さ」を感じちゃうんですよね。
 で、その「3・11」から、今年でもう3年!
 ついこの間の出来事のような、 ずっと昔の出来事のような―
 あまりにも強烈な記憶として脳裏に焼きついてしまった恐怖と、あの日の「津波」の映像を思い浮かべながら、「歴史はこうして積み上げられていくんだな〜」と、感慨もひとしおです。

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 ところで、このところ、長い間交流のなかった姉と妹に会う機会に恵まれ、当ブログでも度々お伝えしていますが―
 いつだったか姉に、「もし読むんなら・・」と、村上春樹『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』の本を渡したら、次に来たとき、「まだ読んでいないのなら・・」と、三冊の本を置いて行きました。
『教科書に載った小説』(佐藤雅彦編・ポプラ文庫)と、『八日目の蝉』(角田光代著・中央文庫)と、『謎解きはディナーのあとで』(東川篤也著・小学館)という本です。
 で、その時、ちょっと意外に感じたのは、そのチョイスの仕方が、少々(一冊以外は)姉らしくないと思ったからで―
 合理主義で実務派の姉が好むのは、まさに『教科書に載った小説』のような、要するに、手っ取り早く教養を身につけられる本。まあ、言ってみれば、感情に訴えるような(メメしい)本や、ユーモアを愉しむ(軽めの)本は、好みではなかったはずだからです。

 思えば―
 昔々のその昔、姉がまだ十代の頃、突如として海外文学に凝り始め、立派な装丁の(函入りのね)「世界文学全集」を購入してきては、本箱に並べるようになりました。
 で、三つ違い私としては、当然、それまで目にしたこともない海外の文学、トルストイ『戦争と平和』だとか、ドストエフスキー『罪と罰』だとか、魯迅『阿Q正伝』だとか、ヘンリーミラー『北回帰線』だとか・・
 姉の目を掠めて、興味半分に読んだものでした。
 が、哀しいかな、凡庸でオクテな私には、先ずは、同じように見える片仮名の名前が覚えられず挫折。内容の難しさにまたしても挫折。何度かトライしながらも、どれも最後まで読むことが出来ませんでした。
 ようやく受け容れられるようになったのは、二十代になってからのこと。以来、一時は「海外小説」一辺倒だったこともありました。
 そんなことを考えると、そもそも「文学」を好きになった原点は、姉が収集していた本棚の、あのグリーンの「世界文学全集」だったような気がしていたので―
 三冊の本を前にして、姉は姉なりに私の知らない所で変わっていたことに気づき、改めて歴史の隔たりを感じたわけです。
 で、早速読んでみたのが、『教科書に載った小説』という本でした。
 なぜならば、私ならおそらく「買わないであろう」けれど、だからこそ最も興味深かったからです。
 本書は、編集者(佐藤雅彦氏)の「あとがき」によると―
 氏が子どもの頃、本屋が一軒もない小さな漁村に生まれ育ったため、本を読む面白さも知らなかったことから、
ある日のこと、小学校の教師をしている父親の部屋で、たくさんの国語の教科書を見つけ、そこに収められている小説を読むうちに、初めてその面白さに気づいたそうです。
 で、年を経て、教科書を出している出版社から「本」を出す機会に恵まれたそうで―
 本書に収められている12篇は、どれも編集者が「自分が読んで面白いと思う小説」ばかりを抜粋したもので、人格形成期に読むにふさわしい「普通なら出会えないような珠玉の作品群」と著しています。
 従って、そのセンスの良さは一目瞭然。目次を読むだけでも、そうそうたる作家ばかり。中身のほうも多岐に亘ます。
 それぞれの作品が、初めて読むものばかりだったので、とても新鮮に感じました。
     目次
 とんかつ・・・三浦哲郎
 出口入口・・・永井龍男
 絵本・・・・・松下竜一
 ある夜・・・・広津和郎
 少年の夏・・・吉村 昭
 形・・・・・・菊池 寛
 良識派・・・・阿部公房
 父の列車・・・吉村 康
 竹生島の老僧、水練のこと・・古今著聞集
 蝿・・・・・・横光利一
 ベンチ・・・・リヒター
 雛・・・・・・芥川龍之介
 


宿泊する不審な親子を見つめた三浦哲郎の「とんかつ」、差出人のない小包が届く「絵本」、古今著聞集から採った「竹生島の老僧、水練のこと」・・。「成長する道程に置いておくので読んでほしい」という願いで教科書に載せられた作品を、さらに「面白い」を基準に編んだアンソロジー。(裏表紙・解説より

 もちろん、どれも教科書に載るぐらいですから、奥深い作品ばかり。中でも、阿部公房『良識派』という作品は―
 わずか2ページ ほどの超短篇でありながら、平易な文章で、(何年生の教科書でしょうか?)しかもインパクトのある「世界観」を描いた、密度の濃い寓話です。

 昔は、ニワトリたちもまだ、自由だった。自由ではあったが、しかし原始的でもあった。たえずネコやイタチの危険におびえ、しばしばエサをさがしに遠くまで遠征したりしなければならなかった。ある日そこに人間がやってきて、しっかりした金網つきの家をたててやろうと申し出た。むろんニワトリたちは本能的に警戒した。すると人間は笑って言った。見なさい。私にはネコのようなツメもなければ、イタチのようなキバもない。こんなに平和的な私を恐れるなど、まったく理屈にあわないことだ。そう言われてみると、たしかにそのとおりである。決心しかねて、迷っているあいだに、人間はどんどんニワトリ小屋をたててしまった。・・後略・・(阿部公房・良識派より抜粋

 というような文体で、「ニワトリをオリの中に追いやったのは、結局、ニワトリ自身であった」として― 
 良識派であるはずの大多数のニワトリが、人間に誘導されてオリの中に入り、まあ、都合が悪ければ(話し合いで)いつでも改められる(出られる)であろうという浅はかな理由から、結局、人間に支配されるようになったという、いわゆる流され易い一般大衆の「愚かさ」を描いています。
 考えてみれば、世の中の仕組みは、多くが良識派の一般大衆から成り立っているわけですが―
 世の中がこう複雑化してくると、そもそも良識派とは何か?良識派イコール常に正しい派なのか?なんて疑問が湧いてきて、色々考えさせられる作品でした。(いやホントの話)

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 また、『八日目の蝉』のほうは、一見重そうなテーマでありながら、ドラマチックなストーリーと、サスペンスに満ちた展開の中で、ぐんぐん引き込まれて行きます。
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか・・・。東京から名古屋へ、女たちにかくまわれながら、小豆島へ。
偽りの母子の先が見えない逃亡生活。そしてその後のふたりに光はきざすのか。心ゆさぶるラストまで息もつかせぬ傑作長編。第二回中央公論文芸賞受賞作。解説・池澤夏樹 (裏表紙解説より


 優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした。
 なぜ誘拐したの?なぜ私だったの?


 という、ショッキングなキャッチコピーの本書―。
 要約すると、元愛人だった男の家に、女が侵入して乳児を誘拐し、3年半に亘る逃亡劇と、「母性」をめぐる女の宿命のようなものを描いた、サスペンスタッチの長編小説です。
 ストーリーとしては―
 女(希和子)が不倫相手の妻が産んだ子ども(薫)を連れ去るまでを描いた、プロローグ代わりの0章から始まり―
 財産をすべて提供し、自給自足の生活をする謎に満ちた女だけのコミューン、「エンジェルホーム」での3年半にも及ぶ逃亡生活と、逮捕されるまでの葛藤の日々を描いた第1章
 連れ去られた子ども(薫=恵理菜)が親元に帰り、成長して大学生になった現在、今度は彼女がバイト先で妻子ある男性を愛し、妊娠してしまうという第2章
 以上、三つのお話から構成されています。
 読んでいるうちに、ふと逃亡先の「エンジェルホーム」なるコミューンと、かつて問題になった、あの宗教法人、「イエスの方舟」のことなどが重なり、宗教的な匂いはしないものの、そこはかとなく不気味なものを感じました。
 因みに、『八日目の蝉』の意味については―
 本書の中で、度々出てくる言葉として、七年間地中にいて、ようやく出て来たと思ったら、七日目に死んでしまう短命な“蝉”の一生になぞらえ、奇跡的に生き残った「八日目の蝉」だからこそ、「ほかの蝉が見られなかったものを見、経験出来なかったことを経験出来る」という意味で表現しています。
 穿(うが)った見方をすれば、与えられた「生」だからこそ、一日でも大切に生きたいという主人公の生き様とも、あるいは、(真偽のほどは分かりませんが)もしかしたら、産卵のため生き残ったメスの蝉、つまり妊婦のことを指しているとも考えられます。
 但し、本音を言えば、文中何度も「八日目の蝉」という言葉が出てくる割には、内容的にはあまり関わっておらず、タイトルから乖離しているようにも思われました。
 と同時に、意地悪な見方をすれば、女ならば誰もが持ち合わせている「母性」を描くことによって、いつの時代も万人受けするこの手の小説―
 個人的な好みで言うならば、短絡的で、安易な生き方を選ぶ大人の陰で、犠牲になるのはいつも子ども。しかも、その愚かさが、子どもにまで「連鎖」していくという、いかにも「今どき」の風潮を描いているところに抵抗感を抱いてしまい、素直には同調出来ませんでした。
 とは言うものの、作品としては、ドラマ化や映画化されていることからも頷けるように、押しも押されもせぬ優れた長編小説。
 心の片隅で「ふふん」と鼻白みつつも、どこかで自らの生い立ち・・つまり、“血”は繋がっているけれど、見たこともない「実母」のことや、“血”は繋がっていないけれど、それ以上に濃いものを感じた「養母」のことを重ね合わせ、「母性」について考えたりしているのです。
 誘拐した女は、誘拐した女の子を我が子のように可愛がり、結果としてその三年半が、女の子のトラウマになり、その後、実母にも実父になじめぬまま、気がつけば、彼女もまた女と同じような道を歩むことになるという、いわゆる負の連鎖も暗示しています。
 その意味から言えば―
 母性とは、必ずしも“血”DNAの成せる業ではなく、環境愛情が影響するんだろうな〜と、自身の体験からも、しみじみ思いました。

 
 そうそう、“蝉”といえば―
 いつだったか、夜、洗濯物を取り入れようと窓を開け途端、一匹の大きな“蝉”が入ってきて、あの、やけに重量感のある肉体?で、バサバサと部屋の中を飛び回り、壁に留まったかと思ったら、おもむろに「ミーン、ミーン」と鳴き始めた時は、そりゃもう、背筋が凍る(身の毛がよだつ)ような恐怖を感じたものでした。 
 元々、昆虫は嫌いだけれど、それでも夏の盛りに大樹の幹で鳴く“蝉”は、短命の儚さというよりか、太く、短く生きようとする逞しさ(生命力)のようなものを感じますが・・
 夜、それも、煌々と灯りの点いた部屋の中で聞く“蝉”の声というものは、形容しがたい必死さと、おどろおどろしさを感じるものです。(お〜、こ、こわ・・)
余談ながら―。

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 そんなこんなで―
 春まだ浅き3月。
 相変わらず日々の生活に埋没されながら、例えば、大詰めを迎えつつも、既に一年以上経つというのに、一向にらちが明かない「離婚調停」の行方やら―
 不毛とは知りつつも、滞りつつあるブログの強迫観念に、バカみたいに拘(こだわ)ってみたり―
“老い”しか無い自らの行く末もさることながら、娘の幸福のことやら、長男とのヒズミのことやら―
 どうでもいいような・・人間と、ニワトリと、オリの関係やら、好きでもない“蝉”の生態やらについてまで―
 あれやこれやと、心が休まる暇がありません。ふ〜〜。
 そうして、自らが追い込んだ(精神世界の)、もつれにもつれまくった愚かさの連鎖を断ち切るスベもなく、鬱々する中で―
 野菜なのか?果物なのか?衝動的な娘が、会社帰りに買ってきた「ドラゴンフルーツ」なる謎の(初めて見る)食材を、ネットで検索したり、疑心暗鬼で食してみたり―(キーウイみたいな味でした)
 たまたまテレビから流れて来た、フランスの劇作家、モリエール『恋こそ喜劇』(2007年・仏)という映画を観て―
 人間の卑しさや、金や名誉、権力や欲望と言ったものを、皮肉とエスプリで笑い飛ばし、「不幸な出来事には、喜劇の側面があるものなのよ」な〜んてセリフがあると―
 人生こそ、まさに喜劇ではないかと、大いに納得しちゃったりしているのです。



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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
悲劇なのか、それとも喜劇なのか、自分でも良く分かりませんが、
人生という舞台は一度きりの公演なので、やり直しが効きません。
せめて、一度は「予行演習」があれば、少しはマシな生き方を見つれられたのかも知れませんが…。
ダダさん
2014/03/07 19:26
ダダさん、こんにちは。
本当ですよね〜。
リハーサル無し。リセット無し。一発本番の生ライブです。
物ごころついた時には、自身の「環境」があり、自身の「性格」があり、自身の「生き方」があり・・
気がついたら、のっぴきならない「人生の末路」に立たされているのです。
あとは、笑うしかないでしょう。
夢子
2014/03/08 10:38
環境は確かに大きな比重を占めています。
勉学というか、学習はある程度、己の努力如何に関わっているものですが、
己が生まれ育つ環境は自らで選ぶ訳には行きません。
それが「人生だ」と言われれば、それまでなのですが…。
ダダさん
2014/03/08 11:53
ダダさん。そうですね〜。
その意味では、親の責任ってものが、如何に大事かってことでしょうね。
二人の子どもを育てあげた今となっては、(大きな声では言えないけれど)あれもこれもと悔やまれることばかりです。
夢子
2014/03/08 15:23

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