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zoom RSS 徒然の記〈大震災再来!〉

<<   作成日時 : 2016/04/30 12:15   >>

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       みんな嘘にして 春は逃げてしまつた (山頭火)

 今回の<九州地震>による被災地・被災者の皆様へ
    心よりお見舞いを申し上げます。


 たけなわの4月14日(木)の夜、日本列島は、またしても大きな災害に見舞われました。
 九州の熊本地方を中心に、相次いで起きた<熊本地震>です。
 しかも今回は、14日に震度6、マグニチュード6・5という大きな地震があり、直後に気象庁が、「当分は、余震が続くでしょう」と発表していたこともあり、誰もが、徐々に収まるものと思っていた矢先、翌々日(16日)の未明に、またしても震度6・5〜7、マグニチュード7・0という、更に大きな地震があり、被害が拡大したそうです。
 で、驚いたことに、気象庁はこの地震を、14日に起きたのが前震だったこと。本震は、実は16日のほうだったと訂正し、これまでの「常識」を覆しました。
 本震余震だけでなく、前震という新たな恐怖―。
 驚きましたよね。こんなことって、あるんですね〜。
 以来、震度3〜5クラスの余震がいまだに続いており、気象庁も「今後、更に大きな地震がくることも否定できない」として、注意を呼び掛けています。
 被災地の人々は、オチオチしていられないでしょうね。
 聞くところによると、今回の熊本地方を襲った地震は、今から120年以上前(明治時代)の記録しか残っていないことから、誰もが、予想だにしていなかったそうです。
 なので、地震に慣れていないこともあり、大きな被害に繋がったようですが・・
 予想という事で言えば、今回初めて知ったことは―
 どんなに偉い地質学者、地震学者の先生でも、「直前に予測出来るか?」と問われれば、「よく解からない」と答えるしかないそうです。
 科学の進歩は日進月歩。これだけ宇宙が近くなり、IT化が進んでいるというのに、地震の予知さえ出来ないなんてね。
 そもそも、長年地震を研究している地震予知ナンチャラの学者さん達って・・何をしているの?
 不謹慎なことは言えませんが、早くなんとかして欲しいものです
 で、今回の<熊本地震>逆転劇をテレビのニュース速報で知り、二日に亘って襲った激震で、更に広がった被害の映像を見ながら―
 思い出したのは、やっぱり5年前の<東日本大震災>のことでした。
 あの時は、マグニチュード9・0という未曾有の巨大地震だったことから、東京23区内でも、震度5強の揺れに見舞われ、生きた心地がしませんでした。
 昼間だったけれど、永遠に続くのではないかと思われた激震の恐怖、その後の混乱。
 容赦なくテレビに映し出される、ドス黒い「津波」の威力と、まるで「箱庭」のように、家々が、車が、電信柱が、いとも容易(たや)すく飲み込まれて行く無惨な映像・・
 この時の事は、当ブログでも<大震災!>と題して掲載しましたが・・
 今読み返しても、当時は、その映像が恐ろし過ぎて、一枚の写真も添えられなかったことが分かります。
<天災は、忘れた頃にやってくる>などと申しますが―
 忘れるどころか、すべてを、つい昨日のことのように覚えています。
 東北地方では、5年経った今も仮設住宅から抜け出せない人がいるばかりか、いまだに行方不明の人が多数いるわけですからね。
 今回の<熊本地震>の映像を見るにつけ、唯一の救いは、「津波」が無かったことではないかと、まざまざと思い知らされました。
 政府は今回の<熊本地震>を、<阪神・淡路大震災><東日本大震災>に続き、「激甚災害」に指定したそうですが―
 いまだに余震に怯えながら避難所にいる方々、車での避難生活を余儀なくされている多くの方々、改めてお見舞い申し上げます。


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 ところで、一度は決まったものの、アレやコレやでケチがつき、白紙撤回された<2020年・東京オリンピックの新エンブレム>の件、先日、遂に決まりましたね。
 作者は46歳のアートディレクター、野老朝雄(ところあさお)氏ということで、今度こそ「公明正大に」と、厳正な公募の末、最終的には、4作品に絞って選ばれた、押しも押されもせぬ<新エンブレム>です。
 まあ・・ね。人は誰でも「好き好き」というものがありますし、一概に(芸術性という面においても)多数決で、みんながみんな、満足するであろうはずもありませんが―
 決まったからには、素直に受け容れるしかありませんよね。
 色々意見もあるようですが、「シンプルの中にも、強調するものがある」と言われている今回の作品、このまま「メデタシ、メデタシ」となって欲しいものですね。外野席としては―。



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 さて、今回は、前回に引き続き、イギリス在住の日本人作家、カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』(ハヤカワepi文庫・小野寺健訳)という小説のお話です。
 本書は(前回にも触れましたように)、著者(カズオ・イシグロ)のデビュー作という事で、前回ご紹介したわたしを離さないで』では、一見リアリズ?風に、実は(近未来的にも)決してあり得ない、いえ、あってはならない衝撃的な内容でした。
 が、今回の作品は、まさにリアリティに徹した文学作品で、其処此処(そこここ)にミステリアスな謎と、不気味な部分を残したまま終わっちゃうという、ちょっと不思議な作品なのです。

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作、「女たちの遠い夏」改題。(裏表紙・解説より)


 物語は、イギリスに渡った主人公(悦子)が、長女(景子)の首吊り自殺、次女(ニキ)の帰省をきっかけに、終戦直後の長崎時代の記憶を辿るお話。
 従って、舞台のメインは日本。日本人の女性(悦子)の手記という形で、現在過去イギリス日本の時間軸の中で、往ったり来たりしているのです。
 遠い昔、悦子がまだ長崎に住んでいた頃、ふとしたことで知り合った川向こうに住む母と子(佐知子 と万里子 )を通して、自ら(悦子)と余りにもかけ離れた価値観の相違(生活信条)に疑問を抱きつつ、冷ややかに見つめていた頃の記憶―
 つまり、偶然知り合うことになった一人の少女(万里子)と、彼女の母親(佐知子)との三者三様の姿を描き、永遠に縮まることのない謎多き「溝」みたいなものを振り返っているものです。
 奔放で、男にルーズで、身勝手な佐知子と、そんな母親にネグレクト(無視)され、常に何かに怯えている少女(万里子)。わたし(悦子)はやりきれなさを感じつつ、何かにつけて佐知子を非難し、批判的な言葉を口にしますが―
 二人の会話は噛み合わないまま、最後まで同調の色が見えません。
 
 ところで、本書の凄いところは、なんといっても、その会話の巧さでしょうか。
 大半を占めている悦子佐知子の会話は、すべて噛み合わぬまま、しかも、その平易な台詞回しによって展開していて―
 物語の中心になっている少女(万里子)の存在、謎に満ちた彼女の行動や言葉は、一層の「不気味さ」を誘い、作品全体をぼやけさせています。
 また、作中、幾つかの親子の形が描かれていますが―
 断ち難い親子関係、親子ならばこそ、他人ならばこそ、踏み込み切れない心の深淵。感情のズレ・・
 私小説風に一人称で描いているものの、作者が男性で、男目線から見た母親像だからでしょうか、あるいは、純粋の日本人にはなりきれない、著者自身の生い立ちからくる怯(ひる)みからでしょうか、作者は、見事に自分を消したまま、あっさり片付けています。
 また、前回も申しましたように、日本人の作品を、日本人が訳しているという珍しいパターンであることも然ることながら― 
 今回は、語り手(悦子)自身も、
その娘(ニキ)も典型的な中流家庭の人らしく、「お父さま」、「お母さま」、「・・なさって」、「・・ですわ」というような「謙譲語」を使っています。
 で、英語苦手な一読者としては、訳者(小野寺健氏)の力量に敬服しちゃうわけですが―
 本音を言えば、私自身の読解力の無さなのか、最後の最後まで(想像力を掻き立てられながら)出口に辿りつけなかった苛立ちを感じてしまいました。
 例えば、夕暮れの河原で足に縄をからめて歩き、 万里子 を怯えさせた悦子の行為は、果たして悪意だったのか・・
 首を吊って死んだ景子は、なぜ自ら命を絶ったのか?・・
 それぞれの女たちの、その後は・・等々―。

 全体の雰囲気は、あくまでも透明で静謐な薄墨色。巻末の解説(作家・池澤夏樹氏)によると―

映画で言えば、静かなカメラワークを指示する監督の姿勢に近い。この小説を読みながら小津安次郎の映画を想起するのはさほどむずかしいことではない。(巻末・解説より抜粋)
 
 と書いているように、昭和のノスタルジーと、悔恨、懺悔といったものが、足に絡(から)んだ縄のように纏(まと)わりついて離れない、不思議な小説でした。


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 そうそう、先日、ス、スゲ〜映画を観ました。
 安藤さくら『百円の恋』(2014年・日本・武正晴監督)という、強烈な映画です。
 何が強烈かと申しますと―
「安藤さくら」という女優さんの個性と、その体当たりの演技に、度肝を抜かれたのです。 
 もっとも、「安藤さくら」という名前は、今回初めて知り、同時に、彼女の父上は「奥田英二」、母上は「安藤和津」、姉上は「安藤桃子」、ご主人は「柄元佑」という芸能人一家であること。
 更に遡れば、祖父が「犬養 健」氏で、曾祖父が「犬養 毅」氏、再従姉が「緒方貞子」氏という歴史上の大物であることなど。これもまた驚きの家系図だということを、今回初めて知りました。
 しかも・・ね。その演技力たるや、これまで見たことのない、ぶっ飛び級のオーラを放っているのです。
 ストーリーとしては―
 32歳になっても実家にひきこもり、自堕落な生活をしている主人公の一子安藤さくら)。
 父親(伊藤洋三郎)は役立たず、母親(稲川実代子)は、小さな弁当屋を切り盛りしていますが、ある日、妹(早織)が子供を連れて嫁ぎ先から出戻って来たことで、次々と問題が起こるようになります。
 で、一子は(怠惰な生活を送りながらも)一人暮らしを始め―
 夜な夜な買いに行っていた「百円ショップ」で勤めるようになり、近所のボクシングジムでストイックに練習している狩野新井浩文)という男に興味を持つようになります。
 ある時、狩野が「百円ショップ」にバナナを置き忘れ、一子がジムまで届けに行ったことから、二人は急接近しますが―
 狩野は試合に負けてボクシングを引退。一方の一子は、ボクシングに興味を持ち、「32歳まで」と言う年齢制限付きのジムで、厳しいトレーニングに励むようになります。
 が、一向に上達せず、毎回コテンパンに痛みつけられても、モノともせず・・というもので、アンニュイな空気を放ちつつも、パワフルな切れ味を感じるお話です。
 トイレのシーンや、好きでもない男に処女を奪われるシーン、ボコボコに腫れあがった顔・・パッとしない娘の真骨頂を演じる安藤さくらの「捨て身」の演技が光る、面白い作品でした。
 パワフルに輝ける人って、いいですよね。


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 また、こちらは少々主観的な嗜好ではありますが―
 先日来、お借りしていたDVDの中に、アメリカのテレビドラマ 『マッドメン』 (原題MADMEN)というのがありました。 
 1960年代のニューヨーク、マディソン・アヴェニューにある大手広告代理店を舞台に、そこで働く社員たち、その家族などを描いたドラマです。
 タイトルの『マッドメン』(原題MADMEN)というのは、ドラマの舞台でもあり、現在も広告代理店のメッカであるマディソン・アヴェニュー(Madison Avenue)の広告マンを指す造語だそうです。
 当時の社会情勢や、風俗を緻密に再現しているところや、現存する企業(クライアント)の名前や実例が赤裸々に描かれているところなど―
 例えば、今では社会通念上許されない人種差別とか、勤務中の飲酒、喫煙、セクハラ等々・・「え〜、大丈夫なの?」と思うほど大胆に描かれていて、ハラハラドキドキします。
 また、当時はまだ特殊だった「広告代理店」という企業の舞台裏、社員同士の恋愛問題、夫婦や家庭のトラブルまでリアルに描かれていて―
 当時の日本は、アメリカより遅れをとっていたこともあり、丁度その頃・・つまり、日本のCM業界が、ある意味「広告」のエポックでもあった時期(独身時代)、広告代理店に勤務していたこともあり、ひとしおノスタルジーを感じました。
 当時の制作部門で、女子は私一人だったため、「CM」のテープや、フィルムを持ってラジオ局やテレビ局へ行かされたこと、また、インスタントラーメンの「生CM」の度に、鍋やバケツを持ち込んで、スタッフ共々大騒動したなど、懐かしく思い出しました。
 なにしろ「生CM」ですから(番組自体が“生”だったんですから)、一瞬のミスも許されません。スタジオ内に、とてつもない緊張感が走るわけです。今思えばコメディですよね。
 コーラピザ自動販売機などが、この上なくお洒落に感じたあの時代・・
 アメリカのドラマながら、一本一本、淡いときめきと共に、OL時代が甦ってきました。



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 そうこうしているうちに、今年も「ゴールデンウイーク」に突入しました。
 東京は、昨日、今日と五月晴れです。
 震災から2週間余り。熊本県地方では、いまだに震度3〜4の地震が続いているようですが―
 地震大国の日本。しかも専門家すら「分からない」と言う地震ですから、被災地の方々は、さぞ不安に思っていることでしょう。
 日本は、再び5年前の「復旧・復興」の精神に倣って、奮起せざるを得ないところでしょうが―
 最近、よく思います。
 日本人って、いつからこんなに倫理観モラルに厳しくなっちゃって、「正しいこと」しか受け入れないようになったんだろう?
“謝罪”しなきゃならない国になったんだろう?と―。
 蔓延する不謹慎狩り。政治家の暴言。失言。妄言。不倫。二股。ちょっとした表現ミスによって、“一発レッドカード”に追い込む社会現象。
 昔ではあり得なかったネット社会においても、他人同士が暗黙のうちに監視し合うようになり、悪意に満ちた批判や非難で集中攻撃。
 一方では、芸能人・・特に女性芸能人のブログでは、日々“幸せアピール”の欺瞞合戦。
 言いたがる人。見せたい人。アラを探す人。そしてそのアラを問い質(ただ)す人・・
 薄気味悪い世の中になりました。
 息苦しい世の中になりました。




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 さて、の季節も終わり―

 目に青葉 山ホトトギス初ガツオ

 明日からは5月―。
 そうして、このワタクシメと言えば、五体不満足(左半身麻痺)になって、早や10年。
 相変わらず「生きている」だけで精一杯の身。いい事も、愉しい事も、な〜んもござんせん。(ふ〜〜)
 鬱々とした中で、何もかもが思い通りにならない苛酷な人生の摂理自然界のアクシデント・・ついでに「生きている意味」なんかを考えちゃうわけですが―

   人生、楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。栄華盛衰は世の習い。
 
 自らに課すのは、(この期に及んでだけど)何かを打ち破る破壊力と、エネルギッシュな精神力 。(無理だけど)

 人は、常に「宿命」という目に見えない迷路の中で、何かに試されながら生きているんでしょうね 。

 




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<大震災!>





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
中原中也は「悪魔心」という言葉で、自己の内面に存在する暗闇の部分を表現しましたが、人々の内部には、それぞれに暗黒地帯が広がっているようです。
他人の不幸は蜜の味、と言いますから…。
ダダさん
2016/05/03 09:52
ダダさん、こんにちは。
「悪魔心」ですか・・たしかにね〜。
他人には知られたくない「暗闇」の部分があるのかもしれませんね。
だからこそ、それが自己内省や自己嫌悪につながるわけですが・・。

夢子
2016/05/03 12:51

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